陸自ヘリの墜落事故と捜索 〜飽和潜水とは?〜

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陸自ヘリ沖縄・宮古島近くで消息を断つ 

2023/4/6に発生した陸上自衛隊北熊本駐屯地所属のヘリUH60JAが同4/14に水深106mの海底で自衛隊の掃海艇によって機影のようなものが発見されました。

しかし機体を陸上に引き揚げるためには人が潜水して作業することが必要になるといいます。でも通常のレジャーダイビングとは違って大深度潜水になるために「飽和潜水」という特殊な方法が用いられることになりました。

知床沖での観光船沈没事故のこと

飽和潜水といえば2022年4月23日に知床遊覧船が北海道斜里郡斜里町で起こした海難事故が思い出されます。この事故では 乗員・乗客合わせて20名が死亡し6名が行方不明となりました。

この事故は国の安全管理規程のあり方にも大きな課題を投げかけ、旅客船事業に対する国の監督強化や海上保安庁による救難体制強化のきっかけになった事故です。この時も遊覧船が沈没している海底は水深102mと深く、船体の引き上げ作業には飽和潜水の技術が使われました。

レジャーダイビングで使っているのは酸素ではなく空気です

レジャーダイビングでは多くの場合、空気ボンベが使われます。ダイビングをしない人は「酸素ボンベ」などと言ったりしますがダイバーが潜る際に背負っているのは多くの場合「空気ボンベ」で、中には普通の空気を200気圧程度まで圧縮した普通の空気が使われています。

世界中の主な潜水指導団体ではレジャーダイビングでは水深40mまでが許されており認定証(Cカード)所持者にもそのような指導がされています。

もっとも-40mまでだから絶対に安全なのかといえば決してそんなことはなく、潜水中に血中に残留窒素が蓄積し浮上時に気泡化して血管を詰まらせるいわゆる「減圧症」は今でもあとを絶ちません。

減圧症は半身不随になったり神経障害などを起こし、重症化すれば命の危険もある重大な症状です。そのためにレジャーダイバーは潜水にあたってダイビングコンピューターやダイビングテーブル(もはや使っている人はほとんど見かけない)などを使って潜水時間や浮上速度を厳格に管理して減圧症のリスクの低減に努めています。

皆さんも学校の理科の授業でご存知の通り、地球の大気の99.9%は窒素(78%)、酸素(21%)、アルゴンなど(0.93%)で占められています。

水中に潜水すると体の周りにある水の圧力で全身に水圧がかかります。ですから昔の忍者が水遁の術を使ったように長い筒を水面に出して呼吸をしようと思っても、肺にかかる水圧が地上の大気よりも大きいため肺が潰れて水中で呼吸するには相当な体力が必要になります。忍者は相当な訓練をしていたのかもしれません。

水圧は水深10メートルあたり1気圧が加算されますから水深10mの海底では2気圧になり、1気圧の大気を呼吸することはほぼ不可能です。

そのためダイビングでは200〜50気圧の圧縮空気を適度に減圧して呼吸できるようなレギュレーターという器材を使います。これはレジャーダイバーでも同じことでダイビングの講習ではこれらの器材の取り扱い方を習うわけです。

ちなみにダイビングで使うタンクの中身は”普通の空気”を圧縮したものです。”酸素”だと思っている方もいらっしゃいますが、それは間違いです。

飽和潜水って何?

一方の大深度潜水で使われる飽和潜水とはどのようなものでしょうか?

レジャーダイビングで使われる圧縮空気では地上では1気圧に自動調整されてボンベから供給されますが潜水中は圧力の高い空気を呼吸することになります。圧力が高くなればなるほど呼吸する空気の分圧も高くなります。

陸上では窒素も酸素も一部は血液中に吸収されるものの1気圧中では同じ分だけ排出されていくので特に問題は起きませんが、水中では窒素も酸素も呼吸時の圧力が上がるので血液中に溶け込む量が増えていきます。

特に窒素ガスは血液中に溶け込むスピードよりも排出されるスピードの方が遅いので、血液中の窒素含有量(血液に溶け込む量)は増えていきます。

この状態で急浮上したりして体にかかる圧力が急減少すると血液中に溶けきれなくなった窒素が泡になって血管を詰まらせたりします。炭酸飲料の蓋を開けて急減圧すると液体に溶けきれなくなった炭酸ガスが泡になって噴き出してくるのと同じ原理です。
学校の理科では「ボイル・シャルルの法則」として習いますから覚えている人もいるでしょう。

でも-40mより深くに潜り続けたらどうなるでしょうか?

液体(血液)には気体によって溶け込める上限があります。窒素が血液に溶けやすいといっても無尽蔵に溶け込めるわけではありません。決まった量になると飽和状態(もうこれ以上溶け込めない)になります。この状態で潜水することを「飽和潜水」といいます。

もちろん血液中の窒素が飽和状態になっている状態から、ゆっくりと減圧して減圧症にならないように浮上するには果てしなく長い時間がかかります。

これは血中のガスが飽和状態にあるため、減圧にかかる時間は水中での作業時間に関わらず同じです。それでも減圧症のリスクのため、浮上(減圧)にかかる時間のほうがはるかに時間がかかることが多く、血液中に窒素より溶け込みにくい(飽和しやすい)ヘリウムと酸素の混合ガスを使ったとしても作業深度100メートルの場合は5日間、300メートルの場合は11日間を要します。

この間ずっと水中に留まっているわけにもいきませんから潜水作業の母船にある加圧室まで高圧のまま保たれた状態で移動して加圧室の中で減圧のために数日間を過ごすことになります。もっとも加圧室で減圧している時にはトイレもありますし外部から食事などを差し入れることもできますから水中にいるよりは負担が小さくなるわけです。

もちろん潜水下降時(加圧時)も急激に加圧をすると人体に影響が出ますから、こちらも時間を掛けて圧力を高めていきます。ですから水深100mであればこちらも数時間を掛けて加圧することになります。

つまり大気中から飽和潜水を行なって無事に地上に戻ってくるまでには数日の時間が必要になるのです。ですから飽和潜水は水中での作業時間に比べて地上と現場との往復にかかる時間が極端に長いため、「15分だけ作業する」よりも「2時間作業する」ほうが効率的だといえます。どちらにしても体への負担が大きいことに変わりないのですが。

飽和潜水の課題

基本的な飽和潜水のやり方とリスク・作業負荷は以上の通りですが、実際に飽和潜水を行う時には解決しなければいけない課題がいくつかあります。それは、

圧力の問題
呼吸の問題
温度の問題

です。
まず「圧力の問題」ですが船上で再圧タンクを使って加圧・減圧をしていても減圧症のリスクを減らすための加減圧の基準を示した減圧表も概ね経験値に基づいて作られているため、決して安全が保証されているわけではないという点です。

次の「呼吸の問題」は高圧環境下では機体の密度が高くなるために呼吸するときの抵抗が増すという点です。つまり空気がねっとりするとでも表現すればいいでしょうか。そのため窒素中毒対策を兼ねて密度の低いヘリウム混合ガスなどを使ってガス密度を下げる対策を行います。一般にヘリウムやヘリウム水素混合ガスを使った潜水を飽和潜水と混同されることがありますが、両者は基本的なところで関係がありません。

またこうしたヘリウムや3種混合ガス(ヘリウム・水素・酸素)を使うと空気よりも熱伝導率が高いので低音の深海で作業するダイバーから体温を奪ってしまうことになります。そこで母船から呼吸ガスと並行して温水を送ってダイバーの着ている潜水服の中に温水を循環させることで体温の低下を防ぐ仕組みがあります。こうしてみると深海は空気がないことでは宇宙空間に似ています。そのために宇宙服にも似た仕掛けが必要になるのです。

レジャーダイビングでも使われるエンリッチド・エアー・ナイトロックス

通常のレジャーダイビングでは圧縮空気を充填したボンベが使われますが、一部では本来の空気よりも窒素の割合を下げて空気の割合を上げたエンリッチド・エア・ナイトロックス(Enriched Air Nitrox)という気体を充填したものを使うケースも増えてきました。

通常の空気は酸素21%、窒素78%、その他のヘリウム、アルゴンなどの気体が1%の割合で組成されていますが、ここに酸素を加えたりフィルターを使って窒素を引いたりすることでその割合を酸素32%、窒素67%、その他1%の気体にして充填することで酸素分圧を上げたガスを使うことがあります。

これは普通の空気を使ったダイビングよりも窒素の溶け込む量が少なく、無減圧で潜水できる時間を長くできる効果があります。ボクは最近、ダイビングの時にはほとんどこのガスを使っています。個人的な体感ですがダイビング後の疲れが少なくなったような気がしています。

ただこのナイトロックスでは窒素の分圧は低くなるものの、その分酸素の分圧が高くなるために潜水中に酸素中毒を起こす危険が高まります。空気潜水のレジャーダイビングでは最大水深40mまでとなっていますが、ナイトロックスを使ったダイビングでは-24〜25mまでとされています。

酸素中毒についてはまだ臨床的な検証が不十分なため、その症状や後遺症について詳しいことはあまりわかっていません。人が日常生活を送る中では酸素は必要不可欠な存在ですが、それもただ単にたくさんあればいいわけではなく、人間の体にとって「毒」となる面も持ち合わせているのです。

昨年からたまたまニュースなどで目にする機会の増えた飽和潜水ですが、人体に対する影響も踏まえた上でちょっとした知識としてあなたの頭の片隅にでも残ったら幸いです。

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